2024年6月15日土曜日

出雲大社から松江城

 4月30日は早起きして、出雲大社に向かいました。

出雲大社は、縁結びの聖地と言われていますが、

それは旧暦の10月(11月)に全国から八百万の神々が集まると言われていて(神在月)

そこから集まった神々が縁を話し合うという信仰が人々に伝わり

縁結びの聖地とよばれるようになったそうです。

出雲大社に祀られているのは、「大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)」という神様で

国造りの神様としても知られていて、天照大神(アマテラスオオミカミ)に

国土を譲ったことで造られたのが、出雲大社の始まりと言われています。

人と人との目に見えない結びつきを司ることから

縁結びの神様として知られて行ったそうです。

この出雲大社には、参拝方法があるそうなんです。

まず出雲大社に行く前に、稲佐の浜で砂を集めます。



神在月には、この浜から神々が出雲大社に集まると言われる浜だそうです。

お賽銭を入れ、「少し砂をいただきます。」とお参りして砂をいただいてきました。



鳥居をくぐると下り坂、珍しいですね。




この石像が、大国主大神








神社の参拝は、2礼2拍手1礼が一般的ですが

出雲大社の参拝は、2礼4拍手1礼なんだそうです。


素鵞社(そがのやしろ)は、御本殿のちょうど裏側に位置します。

ヤマトオロチを退治したといわれるスサノオノミコトを祀っているので

出雲大社の隠れた最大のパワースポットだそうです。

社を左から周り、軒下の木箱に稲佐の浜からいただいた砂を入れ

それより少し少ない乾いた砂をもち帰ります。


持ち帰った砂を、家の敷地内にまくと厄除けになるそうです。


あちこちに可愛いウサギの石像がありました。


因幡の白兎って、どんなお話だったかな〜?


神楽殿の大しめ縄は、日本最大級!!

出雲大社といえば、この大しめ縄ですよね〜

本当に大きくてすごい迫力でした。

今までの人生、沢山の素敵な出会いに感謝し

これからの人生でも、素敵な人たちと

たくさんの出会いがありますように・・と手を合わせてきました。


ここからまた松江に戻ります。


松江城のお堀を船で1周

途中で乗り降り自由で、何度でも乗れるんですよ。

船頭さんが、説明しながら時には歌まで歌ってくれます。


途中いくつか橋をくぐるのですが、2カ所ほど屋根を下げないと

通れないところがあって、船に乗ったらまずみんなで頭を下げる練習をしました。(笑)





私たちは、「八雲庵」というお蕎麦屋さんでランチにしようと思っていたので

途中で下船しました。

近くには「小泉八雲記念館」や「武家屋敷」があるので散策しようと思ったのです。








楽しみにしていた八雲庵ですが、この日は店休日

お腹が空いていたので、尚更ガッカリ

このお店は、日曜ドラマ「アンチヒーロー」の主演長谷川博己さんの

お父さんの御実家だそうです。

入り口の扉には、「アンチヒーロー」のポスターが貼られていました。

孫の活躍を応援しているのですね〜


すぐ近くの「武家屋敷」に入ってみました。

八雲庵がお休みでがっかりしたという話をしたら、

受付の女性が、「神代蕎麦も美味しいですよ。」と教えてくれました。










神代蕎麦を、「じんだいそば」だと思っていたら「かみよそば」なんです。

だから最初、受付の女性が「かみよ蕎麦も美味しいですよ」と教えてくれた時

今お店の前を通って来たのに、分からなくて「どこにあるんですか?」

と尋ねてしまいました。神代(かみよ)蕎麦ていうんですね〜



八雲庵がお休みだったせいか、とっても忙しくしていました。

やっとお腹も満たされ、「小泉八雲記念館」に行ってみました。



こちらは、八雲が住んでいたという屋敷

この机で、執筆作業が行われていたんですね〜

それにしても椅子と机の高さが気になりました。(高すぎない?苦笑)





記念館の方は、撮影禁止で写真がありませんが

中には、八雲の作品を朗読してくれるブースもあったり

彼の歴史や家族の写真があったり、興味深かったです。


<八雲記念館のパンフレットより>

小泉八雲は、ラフカディオ・ハーンと言って、ギリシャで1850年6月27日に 

生まれています。

父親がアイルランド人で母親がギリシャ人。

当時アイルランドは独立国ではなかったので、ハーンはイギリス国籍を持っていました。

16歳の時、遊戯中に左目を失明。(そのせいか彼の写真は左向きのものが多いそうです。)

19歳の時、養育してくれていた大叔母が破産し、単身、アメリカに移民

赤貧生活を体験したのち、ジャーナリストとして文筆が認められるようになりました。

ニューオリンズ時代に万博で出会った日本文化、ニューヨークで読んだ英訳「古事記」

などの影響で来日を決意し,1890年4月に来日。(39歳の時なんですね〜)

同年8月に、松江の尋常中学校の英語教師に、さらに熊本第五高等中学校、

(そういえば熊本で八雲が宿泊したというホテルが残されていました。)

神戸クロニクル社勤務を経て、1896年9月から帝国大学文科大学講師として

英文学を講じ1903年解雇、後任を夏目漱石に譲り、早稲田大学で教鞭をとる。

この間、1896年に松江の士族の娘、小泉セツと結婚し、日本に帰化。

三男一女に恵まれる。

著作家としては、翻訳・紀行文・再話文学のジャンルを中心に

生涯で30の著作を遺しました。

1904年9月26日心臓発作で54歳の生涯を閉じました。


彼が来日して活動したのは、たったの15年という短い間だったんですね〜

日本に語り継がれている各地の昔話や伝説にひかれ、それを再話文学として

70もの再話作品をのこしています。そのほとんどが、怪談なんだそうです。

確か「ゲゲゲの鬼太郎」作者水木しげる氏も島根の出身




ここからまた船に乗り、お堀をぐるっと回って松江城まで戻ります。



船の屋根がどんどん下がって来て、体は二つ折り状態(苦笑)

それもまた楽しい旅に思い出です。



こんな狭いところも何のその!! さすが熟練船頭さん。




無事松江城まで戻って来ました。































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